東海道・関宿~桑名宿

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ライド記録自転車

テーマのない自転車はすぐマンネリ化します。そこで昨年から東海道を忠実にトレースする旅を始めました。昨年は水口宿から亀山宿まで走破しましたので、今回はその続きで桑名宿までの完全走破を目指します。


道の駅関宿から9時50分頃スタートします。ここはすぐ隣がJR関駅なので、輪行で帰ってくるのに便利なのです。

走行ルート図


まずは地蔵院前から東海道に入り、伊藤本陣前でスタートの記念写真。とりあえず本陣跡を訪れるのが最低限のルールです。


おなじみの東の追分も桜が満開です。この鳥居は式年遷宮の際、伊勢神宮から移築されたものです。


東の追分で関宿を離れ、R1をちょっと走って鈴鹿川沿いの道に入ります。ここは車も少なくて快適。ちょうど満開の桜のトンネルを通り抜けます。


関西本線を陸橋で渡り、亀山宿に入る手前、左側に野村一里塚があります。これは現存する数少ない一里塚跡です。


そして中心街に入り、「江ヶ室交番前」交差点のすぐ東に樋口本陣跡を示す案内板があります。現在は商店街になっており、当時の面影はまったく残っていません。ここまでは昨年も来ましたので、まあ復習です。


東町交差点から巡見街道と呼ばれる道を経て、県道41号に入ります。和田町には和田一里塚跡があります。


そして椋川を渡ります。鈴鹿山脈を背後にちょっといい風景。


JR井田川駅前に井田川小学校跡。現在は駐車場になっており、二宮金次郎像だけが残っています。


和泉橋で安楽川を渡り、中富田町に入ると、川俣神社の境内に中富田一里塚跡があります。


ややこしいのは汲川原町の交差点です。ここはR1と県道637号が交差しているのですが、自動車用の進入路は複雑な造りになっており、ここを渡るのは困難です。そこで本来の道筋を若干外れることになりますが、南側の地下道を利用します。写真中央やや右に見えるトンネルを抜けるともう一本R1をくぐるトンネルがあります。そこを抜けるとサークルKの前に出ます。ここで昼の食料を調達しました。


サークルKの裏手から東海道に復帰しました。ここから庄野宿に入ります。


進行方向の左側に庄野宿本陣跡の石碑がありました。現在は庄野町集会所になっている場所です。


庄野宿を抜けるとしばらくR1を走るんですが、調子よく走ってたら右の堤防に入るのを見落としてしまいました。仕方なく次の上野交差点を右折して定五郎橋手前で堤防に上がります。ところがこの堤防は予期しないダートでした。まあロードバイクでも何とか走れますけど、結果的にはミスコースして幸いでした。


定五郎橋からのダート区間はわずかであり、堤防を下りると細いながらも舗装された農道となります。


そして川を渡る手前に石薬師一里塚があります。一里塚から関西本線をまたぐところまで結構急な坂を上ります。


石薬師宿の町並みに入り、進行方向左側に小澤本陣跡があります。現在も人が住んでいる民家です。このあたり旧街道らしくてとてもいい雰囲気です。


石薬師宿の外れにあったきれいな東屋でお昼を食べました。満開の桜がきれい。


石薬師宿を抜けてしばらくR1を走ります。そして采女町のこの場所から右の道へ入ります。R1からしょっちゅう行ったり来たりするので、次はどちらに曲がるのかを把握しておかないとスムーズに走れません。なかなか渡りにくい場所もあるので、信号のある場所で早めに渡っておくことも必要です。


杖衝坂と呼ばれる溝の入ったかなりの激坂を下って内部橋を渡り、追分交差点で再びR1に出会います。ここは東海道と伊勢参宮道が分岐する交通の要衝であり、特に日永追分と呼ばれています。いったんR1に合流してすぐ斜め左へ入ります。ここから先、四日市市街に入っていきますが、比較的わかりやすい一本道です。


そして近鉄四日市駅前の中央通りに出ます。この辺が四日市の中心部でしょう。ここから商店街に突入します。


R164を渡ったところ、進行方向左側にある黒川農薬商会。四日市宿には当時、清水家本陣と黒川本陣の二つがありましたが、この黒川農薬商会が本陣跡として紹介されることが多いようです。ただし、それを示す案内などは何もありません。


筆頭格であった清水家本陣は戦災後の区画整理により、元あった場所が正確にわからなくなってしまったということです。黒川農薬商会からほんの30メートルほど先、「伊藤皮フ科」の斜め向かいの北西角が清水家本陣のあった場所と推定されています。現在は駐車場になっており、赤いコーンの見える場所がそうです。ここもそれを示す案内板などは何もありません。


本陣跡から三滝川を渡り、さらに海蔵川を渡るところですごい桜並木を発見。ここは四日市の桜の名所なのでしょう。平日にもかかわらず、たくさんの人が花見に来てました。まさに桜のトンネルです。


そこからまたもう少し進んで富田町に入ると、十四川堤の桜という名所がありました。ここはひっそりとしていますが、なかなかきれいでした。


伊勢湾岸道の下をくぐり、朝日駅を過ぎて員弁川にかかる町屋橋を渡ります。ここからいよいよ桑名市に入ります。


桑名市街はカギ型の屈曲がたくさんあって少々複雑なのですが、随所にこのような石柱が立ってますので、それを頼れば迷うことはありません。


桑名の町は歴史が古く、趣のある町並みが残っています。


桑名はやはり港町でもあります。海のない県に住んでいるとちょっと惹かれる風景が・・


そして最終目的地の七里の渡し跡に到着しました。この鳥居も伊勢神宮から移築されたものです。江戸時代当時、桑名から名古屋の間は陸路ではなく海路で結ばれており、その距離がおよそ七里であったことからこう呼ばれています。したがって、東海道はここでいったん途切れます。


七里の渡し跡のすぐ西側、現在は船津屋という料亭になっている場所が大塚本陣跡です。なぜかその案内はありません。


桑名駅まであと少々走りまして、15:26発の亀山行きで輪行しました。気動車じゃなくて電車です。(笑)

やっぱり知らない道は楽しいですねえ。名古屋から東はちょっと大変だけど、あと水口から京都方面が残ってるんだな。しかしまあ、手っ取り早く距離を稼ぐには自転車が便利ですが、見逃すものがあまりに多すぎていけませんなぁ。自転車は急に止まれない! 歩けそうなとこは歩かないと・・

走行距離:50.7km
平均速度:16.4km/h
体重:56.45kg

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コメント

  1. くろだ かん より:

    おはようございます。

    何処もかしこも櫻さくらのいささか鼻についてきましたたこの頃、久々の新鮮な自転車ルポ、

    やはり本来はこうあるべきと、改めて何処かの放送局ではありませんが、もう一度日本であ

    ります。

    かつて大和や伊賀甲賀を、真似てなぞり走った頃を思い出しました。やがて葛城に吉野に

    十津川村熊野にとテーマを求めて走る、がむしゃらの迷走と、そして知り得ました先達の

    方々と夫々のテーマとその過し方。様々に枝分かれして、それを身動きの効かない身となり

    眺めますと、遠く星の瞬きのように思えますあの頃が太腿がハンドルを握る手の実感として

    甦ります。こころ旅の正平さんへの手紙ではありませんが、宿と一里塚の街道探索楽しみ

    に待っております。私が自転車でそれをなぞえるかと云いますとそれは大きな疑問であり

    ますが希望として持ちたいと思っております。

    どうかお元気で自由を満喫下さい。ありがとうございました。

  2. SORA より:

    おはようございます。
    マンネリ化はやる気を奪いますが、ひさしぶりに初心に帰れたような気がします。
    お体に気をつけてお過ごし下さい。

  3. ワシはGT。 より:

    おはようございます。

    ええことしたはりますね。私も東海道は京都から土山までは走れてるんで、桑名の渡しまでの1日半位その気になれば別に考えることもないんですが「企み」だけで実行できてません。。中山道は一応贄川まで行けてますが、これはここ以降の交通費を考えると「もっと面白いトコあるん違うか。」という考えからの中断です。
    本陣ですが私は距離と通過時刻の記録をここでつけてます。宿場での中心ですし。

    月うさぎキャンプですが1日目は飯高からの三峰山にしました。林道の崩落で往復約1時間弱の林道歩きが増えそうですが、以前のsoraさんの記録を参考にさせていただいて行ってきます。

  4. SORA より:

    @ワシはGT。 さん

    桑名まで行くのはいいとしても、帰ってくるのが結構大変ですよね。
    輪行は乗り継ぎがかなり不便ですしね、脚力のある人なら石榑トンネル越えて帰って来れないこともないですが・・(^^;
    名古屋以東も行ってみたいですが、アプローチがなかなか大変ですよね・・
    中山道はR19と被ってるところが多いんで辛そうです。

    飯高北奥林道は崩落してて当分ダメですかね?
    東側の奥福本からももう一本登山道があるんですが、そっち側から通れないかなぁ?