そろそろ終了しそうなブログですが(爆)、まったく自転車に乗っておりません。今年になって何回乗ったのか調べてみますと、一応ツーリングらしきものをしたのは次の日だけです(短距離の練習は除きます)。
4/3 室生ダム
4/20 北木島
4/29 飯高北奥林道
5/25 大和高原北部
6/25 東吉野
9/19 曽爾
一応、春はちょこちょこ乗っていたものの、夏以降まったく乗ってないということですね。まあ今年の夏はあまりの猛暑に自転車どころじゃなかったんですが、涼しくなって良い季節になってもやっぱり乗る気しないですね。乗っても楽しくないと言った方が正確でしょうか。以前のような自転車に乗る喜びが全くなく、疲れしか残らない。だったら無理して乗らなくていいんじゃないの?ということです。有り体に言えば「老化」ってことでしょうか?(爆)
ある趣味が終わったかどうかを見極める最も的確な方法は「機材に興味があるかどうか?」です。どんな趣味にでもそれをするために必要な道具というものが必ずあります。たとえば絵を描くなら筆や絵の具、音楽演奏なら楽器、釣りなら竿や仕掛け、登山ならシューズやリュックなど。これら全てを総称して「機材」と呼ぶことにしましょう。機材の要らない趣味ってまずないでしょう? 中でも機材への依存度がずば抜けて高いのが写真と自転車です。これらの趣味は機材なしには絶対に成り立たないもので、しかも非常に高価であることが特徴です。そのためしばしば機材そのものが目的になることがあります。だから表面上やらなくなっても依然として機材には興味が残ることが多いのです。
僕は何年も前から写真趣味は終わったと言ってきましたが、カメラそのものには興味がありました。写真は撮らなくてもカメラは欲しいのです。だから時々カメラ物欲が爆発するんですね(爆)。写真を撮るよりカメラを買うことが目的になってしまう状態、こういうのを俗に「末期症状」と呼びます(笑)。でも今はカメラに1ミリも興味はないし、欲しいとも思いません。つまり機材に興味がなくなったから写真趣味は完全に終わったと言えるのです。
同じことは自転車についても言えます。もう何年も前から自転車は終わりかけてましたが、去年くらいまではまだ自転車そのものには興味がありました。ミニベロの改造とかやってましたからね。自転車に乗るのは嫌いだけど、自転車をいじるのは好きだったんです(笑)。でも今は自転車いじりにも全く興味がなくなりましたし、パーツもまったく買ってません。新しい自転車が欲しいとも思いません。つまり自転車という機材に興味がなくなったので、自転車趣味は完全に終わったと言えるのです。
自転車趣味が終わったと言える証拠はもう一つあります。今まで旅と自転車はずっとセットのようになってきました。つまり旅の目的が自転車だったので切っても切り離せなかったわけです。しかし今はこれも切り離されようとしています。これまで耳にタコができるほど言ってきましたが(笑)、旅に自転車を持って行っても結局乗らないことが多いし、邪魔にしかならないのです。だって自転車で行ける場所は車でも行けるわけですから、どこかに駐車して自転車を降ろし、サイクリングしてから撤収、また次の目的地へ移動するというのは二度手間でしかないんですよ。下手すると一度自転車で通った道をもう一度車でなぞる羽目になります。そんな無駄なことをするくらいなら初めから車で行った方がはるかに効率的だし、金銭的にも安いんですよね。それを言っちゃ身も蓋もないようですが、自転車に乗ること自体に楽しさが感じられなくなると、最終的にそういう結論になるんです。それが「旅に自転車を持って行ってはいけない」としつこく言っている理由です。とにかく今はもう自転車に乗る楽しさよりめんどくささの方が先に立って、自転車なんてわざわざ旅に出てまで乗るものじゃないという思考に落ち着いています。
自転車をやめるということについて、これまで「引退」という言葉を使ってきましたが、これは正しくないと思うんですよね。引退という言葉には、本当はやりたいんだけれど体力の衰えなどを理由にやむなく一線を退くというニュアンスがありますね。スポーツ選手の引退などはまさにそれですね。しかし僕の場合は自転車をやりたいという気持ちはこれっぽっちもないので「やむなく」という表現は当たらないんですよね。
だからといって自転車が嫌になったからかというと、それも違うと思うんです。ただ乗っても楽しくない、それだけのことです。もっと言うと、やるべきことはすべてやり尽くしたからもう思い残すことはない、そういう気持ちなんですよね。つまり自転車という趣味を究めてしまったからもうすることがなくなった、だから乗っても楽しくないんですよね。こう言うと、まだ日本一周してないじゃないかとか、世界一周してないじゃないか、そんなもんで自転車を究めたとか言えるのかよ!と反論する人も必ずいるでしょう。でもどこまでできるかは人によって違うわけですから、必ずしもそこまでやらなくても、自分の中にある目標まで到達したら究めたことになるんだと思います。僕はもう行きたい場所にはすべて行き尽くしたので、その目標は達成されたと思っています。これ以上することはない。つまり自転車趣味を究めてしまったのです。
すべてをやり尽くし、これ以上することがない状態を何と呼ぶのがふさわしいのかと言うと、僕は「卒業」という言葉が最もピッタリ来ると思っています。卒業とは、一つのステージを完了して次のステージに移ることを言います。引退というと何となく後ろ向きなイメージがありますが、卒業は本来めでたいことで新たな旅立ちに向けた前向きな言葉です。「自転車引退」には本当はやりたいんだけどやむを得ない事情でやめたという悲壮感がありますが、「自転車卒業」にはやりたいことをすべてやって「もういい」と思えたからやめるという達成感しかありません。そしてその先には次のステージが待っているわけです。
本当は誰にでも自転車を卒業するときは来ると思うんですよ。いつまでも中学生や高校生でいるわけにいかないのと同じく、卒業は誰にも必ずやって来ます。でも普通の人の場合はそれがずっと先の話で、生きている間、あるいは体の自由が効く間には来ないことも珍しくありません。なぜなら自転車趣味を究めるには大変な時間がかかるからです。自転車は時間を贅沢に使う趣味ですから、限られた時間の中でやりたいことをすべてやり尽くすには一生かけてもやり尽くせないかもしれないのです。だからこそ自転車は生涯の趣味になり得ます。
しかし幸か不幸か、僕の場合は50手前ですべてをやり尽くしてしまいました。30代半ばにして会社を卒業し、有り余る時間を使って行きたい場所にすべて行き尽くしたからです。会社も引退ではなく卒業したのです。これ以上いても意味がないと思ったわけですから・・。ある意味、時間がありすぎるのは不幸だと思うんですよね。だって普通の人が一生かけてする趣味をほんの十数年であっという間に卒業しちゃったわけですからね。それこそ老後の楽しみがなくなるってもんです。
毎日好きなだけ自転車に乗れたらどんなに楽しいだろうと羨ましがる人も多いでしょう。でもハッキリ言います。それは幻想に過ぎないんですよ。自転車界隈には、寸暇を惜しんでロードバイクの練習に励んだり、今度の週末はどこに行こうかな?と計画を練ってワクワクしてる人がたくさんいますよね。正直言って、僕はそういう人達を見て羨ましいなと思うと同時に、自分にもそんな時期があったんだなと懐かしい目で見ているのです。そう言えば昔は自分も週末だけでは全然時間が足りなくて、行っても行ってもさらに行きたい場所が増えるという経験をしました。自転車に乗ることが楽しくて仕方がなかった。もうそんな時代は二度と来ないのですね・・。定年退職したら自転車三昧でバラ色の人生を描いている人も要注意ですよ。楽しいのは最初だけです。飛ばせば飛ばすほどすぐに卒業がやって来ます。経験者としてこれだけは保証します。
自転車を卒業したら次は何があるのか? それはまだわかりません。でも今はもう自転車は「お腹いっぱい」の状態で、これ以上受け付けられなくなっています。永遠に同じことの繰り返しに過ぎないからです。進歩のないことを延々と繰り返すこと、それをマンネリと呼びます。趣味というものは進歩があるからこそ趣味なんですよ。進歩がなくなればもはや趣味ではありません。このブログももう自転車ブログではなくなります。そしてロードバイクもそろそろ手放そうかと思っています。もう乗らないですからね。置いておいても邪魔なだけなんですよ。本当はバラした方が高く売れるんでしょうけど、それも面倒なのでできるだけ完成車のまま売りたいですね。というわけでまた買い手を募集するかも?(爆)