ロードマンの思い出

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自転車自転車趣味

たまたま面白い動画を見つけたのでそれをネタに昔話をしてみようと思います。

最近の若い人は聞いたこともないでしょうけど、この動画の中に出てくる「ロードマン」という自転車は、ある世代にはもろにぶっ刺さる定番アイテムなんです。

ロードマンとは?

一応知らない人のために解説しておきますと、ロードマンというのはブリヂストンサイクルから発売されていたスポーツ自転車で、1974年から1994年にわたって20年間売れ続けたロングセラーモデルです。単一の車種としては累計150万台を売り上げ、世界で最も売れた自転車という称号を与えられております。主に中高生をターゲットとした通学用自転車という位置づけですが、スポーツサイクルとしても十分な性能を有していたため、一般的には「サイクリング車」という通称で呼ばれていました。

黄金のステップアップ戦略

動画の中でも解説がありますが、当時はジュニアスポーツ車というジャンルがありまして、小学生の男子は例外なくこれに憧れたものです。いわゆるデコチャリというやつで、スーパーカーをイメージしたリトラクタブルライトとか電動フラッシャーなど、意味不明な装備がてんこ盛りでした(笑)。ついにはディスクブレーキとか電動変速まで登場しましたね。時代の先取りやん(笑)。もちろんクソ重いだけで、今となってはお笑いの種にしかならないようなものですが、当時は時代の最先端みたいに思っていて、みんな真剣に憧れたものです。

それが高校生くらいになると、さすがにバカバカしいと気づくのでしょうか、ジュニアスポーツ車から「卒業」するという現象が起こります。そして次にステップアップするのがロードマンに代表される「サイクリング車」だったわけです。動画を見てもらえばわかりますが、イメージとしては「ランドナー」に近いですね。厳密に言うとランドナーではなく「ランドナーもどき」なのですが、泥除けが着いていたり、キャリアを取り付けられたりして、サイクリング用の自転車としては基本的な機能を備えていました。そこで通学用のみならず、休日にはちょっと遠くへ冒険する用途などに使われたわけです。価格的にも5万円くらい、今で言うクロスバイクに近い存在ですね。

当時はこのジャンルが花盛りだったため、実際には各メーカーから同様の車種が発売されていました。例えばミヤタのカリフォルニアロードとか、ナショナル(現パナソニック)のタムタムロードとか、丸石のロードエースとか、富士のフェザーコンポなどがありました。どれも同じような価格帯だったと思いますが、ブリヂストンのロードマンがあまりにも有名だったため、どれも一括りにして「ロードマン」と呼ばれることが多かったですね(笑)。

しかしロードマンはあくまでも通学用自転車、そこからさらに本格的なサイクリングの世界に入っていくには役不足で、最終的に行き着く先がランドナーだったわけです。それがだいたい大学生~社会人あたりでしょうか。しかし値段がそこそこするものですから、そこまでステップアップするのはよほどサイクリングに入れ込んでいる人に限られました。ほとんどはクルマやバイクに移行していくのが普通でしたね。でも業界的にはランドナーにステップアップしてもらうための入口として、ロードマンには一定の存在意義があったのだろうと思います。

ロードマンとの思い出

さて自分もご多分に漏れず、小学校高学年から中学生まではジュニアスポーツ車(そんなにいいやつではなかった)に乗ってましたね。その頃からサイクリングに目覚めていて、それで30kmくらいは走ったんじゃないでしょうか。そしてたぶん高校の入学祝いだったのだろうと思いますが、念願のロードマンを買ってもらいました。これが自分にとってのサイクリング歴の始まりです。

1981年頃のモデルだったかな? 色はメタリックブルーでしたね。これまた定番の折り畳みカゴ(通学カバンがピッタリ入る)がリアサイドに着いていました。タイヤサイズは27.5インチじゃなかったかな? 今で言う650Bでしょうね。前2段、後6段変速でもちろんWレバーだったのは覚えてますが、パーツはシマノじゃなかったと思います。当時だからたぶんサンツアーかな? フレームはクロモリですらないハイテンじゃないですかね? パーツのほとんどが鉄ですから、重量はたぶん14kg近くあったんじゃないでしょうか? 当時のカタログを見るとそう書いてありますね。

それでもクソ重いジュニアスポーツ車に比べれば異次元の走りで、どこまでも行けそうな気がしましたね。この頃にはすでに70~80kmを走れるようになっており、信楽とかよく行ったのを覚えています。嵐山や奈良まで行くのは結構な冒険だったな。とにかく高校生の頃は本気でサイクリング三昧でした。まあ当時の写真は何も残っていないので、記憶しかないんですが。

そして大学生の頃、神戸に住んでいたことがあるんですが、これが一つの転機になりました。ロードマンも一緒に持って行ったんですが、どうも引っ越しの際に部品が脱落しちゃったみたいで、その後変速が調子悪くなったんですよね。乗れないことはないけど、いつもガチャガチャと不快な音がしていました。ご存知の通り、神戸という街は自転車には厳しいです。東西には移動できても、南北に移動しようとすると激坂に阻まれます。自転車で通学するのは事実上不可能でしたね。一度だけやったことがありましたが、あまりの激坂に二度とやらんと思いました(笑)。

神戸という土地柄、サイクリングをするには適さなかったのです。それで自然とサイクリングからは遠ざかっていきましたね。それでも買い物で三宮センター街へはよく行きましたし、須磨海岸や武庫川サイクリングロードまで行ったこともありましたね。一度だけ六甲山に登ったこともありましたが、死ぬほどキツくて二度とやらんと思いました(笑)。その頃は自転車で山に登るなんて無謀だと思ってましたが、今ならヒルクライムじゃうひょひょやんけ(笑)。

今から思うと神戸港からフェリーに乗れば簡単に四国へ行けたんですよね。何でやらなかったのだろう?と悔やまれます。自転車を修理するなり、新たに買い直せばできたはずですけどね、そこまでするほど熱量は残っていなかったんだろうと思います。

ランドナーという自転車を知ったのもこの頃でした。たまたま隣に住んでいたサイクリング部の子が乗っていたのがまさにランドナーだったのです。それまで自分はロードマンこそが「サイクリング車」の完成形だと信じていて、10万円以上する自転車が存在するなんて夢にも思わなかったのです(笑)。でも不思議とそれを欲しいとは思わなかったですね。その頃には完全に熱が冷めてたんでしょうね。あの頃、サイクリング部に入っていたら人生変わっただろうなと思いますね。

ロードマンからレイダックへ

その後、5年くらいのブランクを経て再びサイクリングに復帰したのが26歳の時でした。しばらく遠ざかっていたものですから最近の自転車事情などよくわからず、近くの自転車店に飛び込んで適当に良さそうなやつを購入したのがブリヂストンのレイダックでした。やっぱりまだブリヂストンへのこだわりはあったみたい(笑)。これが社会人になって初めて買った自転車でした。なぜかランドナーや当時流行っていたMTBを欲しいという気持ちはなく、ロードバイクっぽい自転車を選んだんですよね。

ブリヂストン・レイダック RADAC

これがその写真ですが、フレームは鉄とアルミのハイブリッドという珍しい構成で、700x28Cタイヤを履いていました。変速はロードマンよりちょっとだけ進化して前2段、後7段になり、Wレバーはインデックス式になりました。カチカチと決まる変速の心地よさに感動したものです(笑)。重量は11kgもありましたが、それでもロードマンに比べれば大幅に軽く、飛ぶように走るという印象を受けました。あれほどキツかった坂も何のその。このことは衝撃的で、これならもっと行動範囲が広がるぞと素直に喜んだものです。

後にこれも本物のロードバイクではなかったことを知ってショックを受けますが(笑)、今から思うとサイクリング人生の中でこの頃が一番楽しかったんだなと思います。その後はご多分に漏れずロードバイクに乗り換え、さらに軽量化の道へ突き進んでいきます。そう、一度軽い自転車の快適性を知ってしまったらもう後には戻れないのです。ロードマンのような重い自転車は走らないということを嫌と言うほど知っていたからです。

人は青春時代に憧れたものを一生引きずる

ジュニアスポーツ車からロードマンへ、そしてロードマンからランドナーへというのが当時の一般的なルートとして確立していましたが、なぜ自分はランドナーへは行かなかったのか? それは履歴を見れば明らかでしょう。

つまり21~25歳の頃に自転車の空白期があるからです。この頃は旅行もよくしていましたが、それは鉄道旅行が主体で、自転車で旅行しようという気はありませんでした。だからランドナーを欲しいとも思いませんでした。

よく人は青春時代に憧れたものを一生引きずると言われます。音楽なんかはまさにそうで、青春時代に流行っていた歌を今でも大切にしているでしょう? 今どきのわけわからん歌なんか知るか!ってね。だからジェネレーションギャップが生じるのです。

今でもランドナーに乗っている人のほとんどは青春時代にリアルタイムで体験したんだろうなと想像します。中には今どきの高性能なロードバイクには目もくれず古いランドナーばかり集めている人もいますが、それも結局青春時代の憧れなんでしょう。まさに歌と同じ理屈です。自分なんかはパーツの名前とか全く知らないので話を聞いてもサッパリついていけず、どれも同じにしか見えないんですが(笑)。

自分は青春時代にリアルタイムでランドナーを体験していないので、そういうものに全く憧れがないんですよね。だからこだわりもなく、その時代に合ったいい自転車に乗りたい、ただそれだけの合理主義者になっていったわけです。

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