実走日:1995年10月21日(土)
コース:永源寺ダム~蓼畑~杠葉尾~石榑峠~蓼畑~蛭谷~君ヶ畑~蓼畑~永源寺ダム
石榑峠。これを「いしぐれ峠」と読める人はよほどの峠マニアくらいだろう。鈴鹿山脈を横断する国道421号線の峠である。かねてより行ってみたいと思っていた峠だが、どう考えても峠を越えて三重県側に下るコース取りは困難であった。まず周回コースにするには、ひとつ北の国道306号線の鞍掛峠またはひとつ南の鈴鹿スカイラインを越えてつなぐコースが考えられるが、どちらもかなりの標高差のため体力的に厳しいものがある。また輪行を利用して戻るにしても、交通の便がきわめて悪く、大変な時間がかかりそうであった。同じ道を引き返せば済むようだが、帰りに上らなければならないと思うと全然楽しくないので絶対に避けたい。峠越えというのは反対側に下りてこそ初めて意味のあるものだが、このような事情から峠までのピストンで我慢せざるを得なかった。
永源寺ダムに車をデポして国道421号線を走り始める。晴れてはいるが、山の中はかなり寒い。ダム湖を見るとその水量の少なさに驚く。底の方に水が細々と残るだけで、地肌をむき出しにしている。ダム湖が終わるところで橋を渡り、愛知川に沿った広い道をゆるやかに上っていく。ダムがあれほど干上がっている割には、この川はしっかり流れているのが不思議なくらいであった。道が再び狭くなり、消防署のあるところが蓼畑である。
2年前この地を訪れたことがあり、そのときはここから蛭谷を経て峠を越え、多賀方面へ抜けた。今回は橋を渡ってさらに国道421号線を上っていく。川沿いを1.5kmほど走るとキャンプ場があり、大きな案内板があったので見ておく。この道は八風街道と呼ばれているが、その名の由来についても書かれており興味深かった。ここから先が杠葉尾(ゆずりお)地区となる。杠葉尾の集落は、山裾ではなく明るい田圃の中にあり、そのきれいな響きの地名にふさわしい、茅葺きの民家も残るのどかなところであった。集落を抜けて少し下ったところに通行止の標識があった。一瞬いやな予感がしたが、通行止は三重県側の石榑南地区の災害復旧工事によるもので、滋賀県側は関係ないようであった。この峠は年間を通じてたびたび通行止があるので、三重県側に抜けるときは注意が必要である。
杠葉尾を過ぎるとあとは一軒の民家もない。橋を渡ると上り坂が始まり、完全な山の中に入っていく。少し行ったところで道の右側に名水・京の水が現れる。案内板によると、かつて伊勢からはるばる鈴鹿を越えてやってきた旅人が、京の都を夢見てここで喉を潤したことからこの名がついたという。大量の清水が湧き出しているので、ボトルの水を入れ換える。水もあるところにはあるものだ。この先自動販売機などはまったくないので、この水は貴重である。水場からしばらく鬱蒼とした杉林の中を上っていく。少し上ると林を抜け、川を見下ろせるところに出る。まだ紅葉には早いが、山は少しずつ色づき始めている。このあたり、ほとんど車も通らない静かな道である。よく見ると黄色いキロ標があって7などの数字が書かれているのだが、それがどこからの距離なのかこの時点ではまだわからなかった。このあと八風谷をだらだらと上って行くが、それほどきつい勾配ではない。やがて「好評分譲中」ののぼりや紅白の垂れ幕など、こんな山の中には似つかわしくないものが現れ、何やら騒々しいので何かと思ったらそこは八風キャンプ場であった。いったい何をやっているのかよくわからなかった。またここが八風峠の旧道への分岐点となっており、入口はコンクリート舗装されているが、かなりの急坂である。
キャンプ場からはさらにだらだらした上りが続く。おそらくここがもっともつらいところであろう。休みたいとは思うのだが、せっかく呼吸が合っているのでリズムが崩れてしまうのを嫌って休めないという変な気分である。なんだかんだ言いながら休まずに上ってきたが、いい加減疲れてきたので道が枝尾根を乗越す地点の少し手前のヘアピンカーブで休憩する。地図を見ると、もうすぐ尾根を越えそうなのでここまでくればあとはもう楽だと思った。再出発すると、予想通りひと上りで尾根の切り通しに出た。ここから少しの間はゆるい下りとなる。やがて展望が開け、ついに鈴鹿の山並みが姿を現した。正面にはどっしりとした山容の竜ヶ岳。それはまるで壁のように立ちはだかる威容であった。そしてその右に石榑峠のアンテナ塔が見える。すべてがこれだけ素晴らしく輝いて見えるのは急な坂道を上ってきて精神状態がハイになっているからであろう。車で来たらこんな感動は絶対に味わえないに違いない。ここからは展望を楽しみながら、等高線に沿って水平に走る素晴らしいワインディングロードが続く。ここまで来たとき、あの黄色いキロ標は峠からの距離を示していることがわかった。走るにつれて竜ヶ岳と峠のアンテナ塔が近づいてくるが、峠はかなり上の方でまだひと上りしなければならないようであった。水平だった道は再び上り始め、峠への最後の上りにとりかかる。かなりきついつづら折れの道をあえぎながら上っていくと、やがてアンテナ塔が真上に見え、三重県大安町の標識が現れて峠に着いた。
峠付近は路上駐車の列が続き、それらは大方竜ヶ岳への登山者のもののようであった。ここから登山道がついており、最短距離で竜ヶ岳へ登れるのである。またこの峠だけを目的に来る人も多いようで、峠は結構にぎわっていた。峠にはコンクリートのゲートがあり、普通乗用車以外は物理的に通れない構造になっている。ゲートを越えて三重県側に少し下ってみたが、大変な急勾配の上、ガタガタのコンクリート舗装で溝も多く、ロードレーサーでは走りたくない道である。滋賀県側の舗装のきれいさに比べるととんでもない悪路である。行政が変わるとこんなにも違うものだろうか。峠からははるか彼方に濃尾平野、そして伊勢湾を望むことができる。ここは本当に峠らしい素晴らしい峠である。たとえ反対側に下ることができなくても、ここに上るだけで十分価値のある峠であった。昼食をとり、たくさん写真を撮ってから、この去りがたい峠をあとにした。
上っているときはそれほどきついとは思わなかったが、下ってみるとかなりの急勾配である。しかしブラインドカーブが多いのであまりスピードは出せない。展望は素晴らしいが、あまりよそ見していると気が付いたら対向車が来ていたりしてびっくりすることがある。途中、写真を撮っていたサイクリストがいたのであいさつする。もう一度京の水でボトルの水を入れ換えて蓼畑まで戻る。
ここで帰ってしまうとあまりにも物足りないので、おまけとして2年前にも通った道を蛭谷まで上り、さらに最奥の集落・君ヶ畑を訪ねてみたいと思う。消防署から坂を少し上るとすぐ政所の集落が現れる。古い神社・寺を取り囲むようにして家々が並ぶ。政所の集落を抜けると、木漏れ日が降り注ぐ素晴らしい小径を御池川のせせらぎを聞きながらゆるやかに上っていく。やがて少し下りになると箕川の集落に到着する。箕川では、屋根こそトタンに替わっているが風格のある家並みが続く。そこは人影もなくひっそりと静まり返っていた。このあたりは歴史の重みがそうさせるのか、関西でもあまり見られないような一種独特の雰囲気がある。5万図を見てみればよくわかるが、面白いことに政所、箕川、蛭谷、君ヶ畑と各集落ごとに神社と寺が一つずつある。やはり神社や寺は村の人の心のよりどころなのであろう。箕川を抜け、さらに上り続けると木地師の里・蛭谷に着く。「ろくろ木地師発祥の地」の碑がある。地区の案内板を見ると、面白いことにここの姓はすべて「小椋」なのである。CYCLE FIELD 1994年秋号P.150の写真の場所を確認して急坂を上り、君ヶ畑方面との分岐点に着く。
2年前はここを直進したが、今度は180度折り返して君ヶ畑に向かう。 少し上ると蛭谷の集落がすぐ下に見える。やがて川を見下ろすようにして長い上りが続く。この上りは意外に長い。道が下り始めるとようやく君ヶ畑に到着する。ここは最奥の集落にふさわしいひなびた雰囲気であった。茅葺きの民家も何軒か残り、コスモスとススキの穂がゆれる中、ゆったりとした時間の中にたたずんでいた。さらに進むと君ヶ畑のバス停と常時水が流れている共同水道がある。その奥には何かそこだけ場違いのような新しい建物がある。近づいて見るとなんとそれは学校であった。「永源寺町立政所小学校君ヶ畑分校」とある。過疎化で学校の統廃合が進む中、こんな山奥にずいぶん新しい学校があるのは驚きであった。いったいどれほどの子供が通っているのだろうか。そこで集落は途切れ、この先まだ舗装路が続くがここで引き返すことにする。写真を撮っておくが、こんなところではやはりランドナーが一番絵になると思う。
帰り道、蛭谷で上ってきたサイクリストにすれ違い、あいさつする。箕川から政所までのゆるやかな下りは快適そのものであった。蓼畑で再び国道421号線に戻り、帰路につく。少しでも変化をつけるため、今度はダム湖北側の道を通ってみることにしたが、いきなり急坂が始まり思わず来たことを後悔してしまった。アップダウンが多そうなので引き返そうとも思ったが、地図を見るとすぐ上りは終わりそうなのでやはりそのまま行くことにした。この道は交通量が少なく、静かではある。永源寺ダムの堰堤はロープが張られていて車は入れないが、自転車なら担いで越えられる。堰堤を渡って午後3時半頃、車のデポ地点に戻った。まずまずの距離を走り、充実した気分で帰った。
走行距離 | 走行時間 | 平均速度 | 最高速度 | 最高地点 | 最大標高差 |
53.24km | 2:46:46 | 19.1km/h | 55.3km/h | 690m 石榑峠 |
420m |