モノは買わない

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雑記

ただいま引っ越しの真っ最中でして、京都と奈良を何度も行ったり来たりしております。引越し屋に頼めば楽なのかもしれませんが、自分で運べないような大きな荷物はないし、そもそも一度に運んでも入り切らないんですよね。それで少しずつ置き場所を確保しつつ、チマチマと軽バンで運んでいるわけです。

思えば奈良に来てからもうすぐ35年になりますから、人生の半分以上を奈良で過ごしたわけです。完全に故郷と言っても差し支えありません。できればこのまま一生奈良で余生を過ごしたいところですが、そうは行かない事情が発生してしまいました。誰しも多少の早い遅いはあっても60歳前後になると必ず直面することになるのが両親の他界です。誰も住まなくなった実家は空き家のままにしておくと荒れるし、固定資産税や光熱費などの経費が二重にかかります。管理のために時々帰るのも負担になるし、経済的な負担も馬鹿になりません。ある調査によると相続したくない財産の1位はダントツで不動産だそうです。

相続の手続きはとにかく煩雑でめんどくさいものですが、実はそれより一番大変なのが実家の片付けです。高齢者の家はどこも同じようなものだと思いますが、とにかく物が多い。物を捨てることに罪悪感があるのでどんどん溜まる一方なんですよね。紙袋とかゴミにしかならないような物が隙間という隙間にぎっしり詰め込まれています。まさにゴミ屋敷状態。実家を売却あるいは賃貸しようとする場合、どうしても家の中を空っぽにしなければなりません。しかし大量のゴミを目前にしてこれはとても無理だと悟りました。家の中だけでなく外回りにも山ほどあるんです。業者に頼むとおそらく40~50万はかかるでしょう。

とは言ってもすでに持ち家がある人の場合、空き家を保有しておくのはコストや手間を考えると賢明ではありません。やはり業者に頼んででも残置物を処分し、売却するか賃貸運用するしかないでしょう。しかし自分の場合、幸か不幸か賃貸住まいなので実家を整理して住むことにはメリットがあるのです。賃貸にいれば当然いつまでも家賃を払い続けなければなりません。それがなくなるのは大きなメリットです。もちろんあちこち傷んでますのでリフォームする必要はありますが、それでも数年分の家賃でペイできるので長期的に考えるとそれが最も得策と思われるのです。そういう理由で移住を決断しました。

しかしあまりにも物が多すぎてどこから手を着けていいのか見当もつきません。最初は本当に足の踏み場もなくて部屋の中に入ることさえ困難でした。だいたいうちの中で一番場所を取っているのは父の本なんです。といっても読むんじゃなくて本を買うのが趣味なんですよね。いわゆる積ん読。あまりに本が多いので母がいつも処分しろと怒っていました。しまいには本の重みで床が抜けかけていました。とにかく尋常でない量だったのでいちいち中身を確かめる暇なんてありませんでした。おそらく貴重な本もあっただろうと思いますが、有無を言わさず売れそうなものは売り、大部分は捨てました。

本が片付いたのも束の間、今度は思わぬ荷物が出てきました。母の洋服です。タンスや押入れの中に隠されていたから目に付かなかったんですね。それがまた出るわ出るわ、とんでもない量。大部分はタグが付いたままで一度も着ていない服ばっかりなんですよね。よく父のこと言えるなと思いましたね。どっちもどっちだわ。婦人物の洋服なんて持っていてもどうしようもないので全部捨てるしかありませんでした。結局二人とも大量のゴミを残して旅立ってしまったのです。何とか住める状態にするまでに2年かかりました。ちゃんと終活をしておかないと後の者が地獄を見ることになります。両親が健在なうちに終活はしておけと口うるさく言っておいた方がいいですよ。

これで大変な思いをしたので、とにかく物を増やしてはいけないと強く心に誓いましたね。自分が死んだら全てがゴミになるという恐ろしい事実に身をもって気付かされたわけですから。もちろん壊れたりしてどうしても必要な物は買いますけどね、必要でない物は買わない、それに尽きます。欲しいから買うというのは、冷静に考えるとたいがい必要のない物です。買う前にそれが本当に必要かどうかを考える、今あるもので何とかすることをまず考える、そういう習慣が身に付いてからは欲しい物がほとんどなくなりましたね。

思えば自分が20代から30代の頃は物欲にまみれていました。常に何か買うことばかりを考えていましたね。物欲の対象はほとんどカメラやレンズばかりです。そういうものにアホみたいにお金を注ぎ込んでましたね。あらゆる物の価値の基準がカメラになるんですよね。これをやめればあのカメラが買えるなとか妄想ばかりしていました。物欲というのはとどまることを知りません。何かを手に入れればもっともっと‥とさらなる欲望が沸いてくるのです。今では全く興味もなくなったのでほとんど売っちゃいましたけどね。損失額を考えると恐ろしくて言えません。

お金の使い途も見直さないといけませんね。物を買うのが一番いけません。死んだらゴミになるだけとわかってしまいました。お金も物もあの世には持って行けません。持って行けるのは経験と思い出だけです。そういう考えに立てば何にお金を使うべきか自ずとわかってきますね。つまりお金を使うべきなのは物ではなく「体験」です。具体的に言えば旅行して見聞を広めたり、芸術を鑑賞したり、音楽を聴きに行ったり、そういうことに使うべきなのです。それならゴミは溜まらないでしょ。

本当の意味で人生で一番得なのは何だと思いますか? お金があることが幸せじゃないんですよ。それは健康と体力があることなんですよ。それさえあれば何でもできるし、老後も楽しく過ごせるんです。そしてお金がかかりません。何だかんだ言って一番お金がかかるのは医療費ですからね、病院ばかり行って薬をもらっていたらとてもお金がもちません。自分は半年に一度の歯科検診以外、病院にはめったに行ったことがありません。だから医療費はほぼゼロです。収入が少なくても何とかやっていけたのは全てそのおかげです。

結局、人生で最も価値のあるものは健康と体力、あとは絆ですかね? そのために使うお金を惜しんではいけません。病気になったり要介護になったらその何倍もお金がかかるわけですからね。頑丈な体を維持することこそが最大の節約術です。お金というものは最も価値あるものに使ってこそ生きるのです。物を買ったって一時的に満たされるだけ。お金で買えるものはしょせん大したことないんです。自分はそのことを悟ってからあらゆる物欲が消えました。

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コメント

  1. nonki より:

    SORAさん、まったく同感です。
    今、我が家も両親が要介護状態になり、ゴミ屋敷に住んでいます。(‘A`)
    捨てようと私が言うのですが、一向に進みませんね。それとトイレのドアなども取り外さないといけなくなりました。歩行器状態の父が入りにくいからです。
    ということで、時代とともに家も変遷していきますな。
    一気に捨てに行きたい心境です。
    ま、私も人のことを言えませんがね。自転車の数!いったいどうすんだよ、って言われています。(‘A`)

  2. SORA より:

    物のない時代に育った人は価値観が全く違うので困ったものですね。
    自転車のように処分に困る物は一番買ってはいけない物です。
    自分が死んだら誰が処分するんだよ?って話ですね。
    だから生きているうちに手放しておかないといけないのです。